出雲大社
サンライズ出雲で東京を2200発、米子に9時過ぎに到着。
駅前でレンタカーを借りて出雲大社にお詣りに来ました。
初詣は毎年近所の諏訪神社なので、今回はその親分、大国主命にご挨拶に行こうというわけです。
ここが拝殿。
本来は八足門までしか入れない。
3が日は楼門まで入れるとあったが、もう6日だから無理だと思っていたら、以外にも入ることができた。
しかも生演奏付きでラッキーだった。
彰古館
本殿裏の彰古館に入って驚いた。
なんで、ここに数多くの大黒天の像が…??
大黒天は、ヒンドゥー教のマハーカーラという神様だ。
それが密教に入り込み、日本にやってきた。
大黒と大国の音がダイコクだから間違えられてしまったのだろう。
だいたい大国主命が縁結びしているというのが、どう考えてもギャグだ。
そういえば、この一体、値段に「円」でなく「縁」を使っている。
普通の札が使えるのかと思ったが、大丈夫だった。
素鵞社
やはり本堂の裏にある。
スサノオノミコトを祀ってある。
スサノオとの関係もよくわからない。
記憶によれば大国主は素戔嗚の6代目だか7代目だかの子孫だった。
それが素戔嗚の娘のスセリ姫と結婚した。
どういうことだろう?
もう一度行きたいラーメン屋
もう20年ぐらい前になるが、マイクロバスを借りて職場旅行に芦ノ牧温泉に行った。
翌日は鶴ヶ城を観光して帰ったのだが、途中昼食に立ち寄った会津ラーメンがうまかった。
職場に会津出身の人がいて、その人に紹介してもらった店だ。
今風のラーメン屋の感じではなく、普通の民家か食堂のイメージ。
多人数だったので2階の広間で畳にテーブルを出してもらって食べた。
喜多方ラーメンは有名だが、おいらの中でランキングは会津ラーメンのほうが上なのは、この店で食べたラーメンのおかげだ。
ところが、その後何度か会津を訪れているのだが、その店が分からない。
国道の東側だったような気がするのだが、自分で運転していないとちっとも覚えていない。
地図でストリービューを」たよりに探してみても、ピンとくる店は見つからない。
もう昔の話だし、なくなっちゃった可能性もあるなぁ。
川治温泉
夏休みが終わってからずっと仕事が幾何級数的に忙しくなり息も絶え絶え、なんとかかんとか冬休みにたどり着いた。
まずは、のんびり心と身体をときほぐしたい。
こんな時は、川治温泉である。
巨大迷路パラディアム
http://kankou.4-seasons.jp/asobu/861.shtml
のんびり家を出たが、それでもチェックインには時間が早いので立ち寄った。
20分でクリアしたら、ソフトクリームがもらえるとあるが、走り回る気にはなれない。
のんびり歩いて挑戦したら、40分ぐらいかかった。
ちょうどいい運動になった。
ゆけむりの里柏屋
http://www.kashiwaya-kawaji.jp/
http://www.kashiwaya-kawaji.jp/hot_spring/img/tanoshikiyu_l.jpg
川治温泉に来るようになってもう数十年だが、実はこの宿に泊まるのは初めて。
露天風呂はこの宿が川治温泉で一番と気に入っている*1のだが、最初に立ち寄り湯で訪れた時の従業員の態度が気に入らなかったのが原因だ。
川治ではいつも東山閣と決めていた。
もしくはその系列の宿屋伝七。
一柳閣やらんりょうも風呂には入ったが泊まったことはない。
ところが、東山閣がなくなり、寿庵となってしまった。
寿庵も訪れてみたが、気楽にのんびりする宿としては贅沢だ。
で、初めて柏屋に泊まってみたのだが、従業員の印象は悪くない。
(宿泊客だからか?)
写真は川向のあじさい公園からの眺め。
龍王峡
昼食を取りに龍王峡まで。車で5分くらいか。
人はまばらで、虹見橋の先は通行止めになっていた。
いつか、ここでねぎそばを食べたのではないかと記憶していたが、違っていた。
ねぎそばはどこで食べたのだったか?
塔のへつりか?
もっと北か?
コカ・コーラを買い込んで、また宿へ。
10時から14時まで風呂に入れないというのが、柏屋の弱点だな。
東照宮美術館
最終日、10時にチェックアウトして、昼食を東照宮の明治の館で摂ろうと日光へ。
ところが、明治の館も第2候補だったみはし*3も年末の休み。
そりゃそうだ。今日は12月29日。
年末年始ぐらいゆっくり休まなければ。
で、今まで行ったことのなかった東照宮美術館を訪れた。
元東照宮の社務所だった建物。悪くない。
ガラスがゆらゆらとした、いかにも明治時代の手作りガラス!
建てられたのは昭和の初期だ。
東照宮にも参拝したが、29日なのにすごい人手。
奥の院の階段が渋滞していた。
眠り猫のおかげで、みな登る気になってしまうのだろうな。
叶う杉には渋滞していなかったのが、不思議。
何をお願いしようかと考え、「家に帰ったらパラが届いていますように」と願った。
実際、帰宅したら1月号が届いていたから、家康公の霊験あらたかである。