友人の死

学生時代からの友人が先日死んだ。

仲間はけっこう多いと思うけど,友人は少ない私にとっては厳しいニュースだった。もっとも,もう3年も会っていない。会っていなくても,会えばその時間がすぐに埋まるのが友人というものだ。しかし,こんな形の再開になろうとは想像していなかった。持病があって,入院したときに見舞いに行ったのが10年前。病気といっても,直接,命に関わる病気ではない。そのときは,実に元気だった。私自身の問題の相談にのってもらいに,会いに行ったのが3年前。それが,生きた彼と会った最後になった。

彼は児童文学作家である。対象は中学から高校生。市場が極端に狭い辛い対象を選んだ。まず,最近は大人もそうだが,子どもはほとんど本を読まない。小学生以前なら多少意識の高い母親が買い与えるということもあるが,中学生に中学生向けの本を買って与える親は実に少ない。そして読書の習慣のある中学生だったら,もう一般書に進んでしまう。だから,日の目を見た著書はみな低中学年向けの作品ばかりだ。

初めて会ったのは大学である。幼稚園教諭養成課程の女の子ばっかりのクラスに彼はいた。その後,本当に幼稚園教諭を志望してこのクラスに入ってくる男は増えてきたけど,当時はもしかしたら初めてだったかもしれない。もっとも彼は幼稚園で働く気持ちはまったくなく,ただそのカリキュラムを学ぶために入学してきたのだ。発達心理学・児童心理学・集団力学等々。やがて,私は彼と創作絵本のサークルを設立する。このサークル「きつねのしっぽ」は,実は二人がそれぞれの狙いの女の子を別のサークルから引き抜いて一緒にいる時間を確保したいという不埒な動機があった。その年,科学教育研究部がつぶれたのを幸いに当時自治会の執行委員をやっていた私が職権を濫用して強引に部室を確保し,設立したのだった。もっとも活動は真面目にやった。 20年たった今も,「きつねのしっぽ」は無事存続している。

机を並べその上に畳を敷きつめて,こたつをおいたその部室で,彼と色々な話をしたものだ。クロスワードの形を決めて,一晩でいくつ作れるか競い合ったこともあった。私は苦心惨憺の末,一つしか出来なかったが,彼は5個も6個も作り上げるのだった。5×5の中央に黒マス1個だけというクロスが作れるかと挑戦したら,ちゃんと日本語で作り上げてきた。いろは歌も作る人が作るとさらっとできるもののようだ。私の結婚のプレゼントにも,いろは歌をくれたものだった。

数ヶ月前に最新作を1冊送ってきた。本を贈って来るなんて,めったにないことではあった。以前,私の子ども達の名前を作品の登場人物に使ったときに,「使用料代わりに」送ってきたくらいだ。なにか特別な意味のある作品なのか?しかし,私は忙しさにかまけて,そのままにしておいた。
ゆうたの小さなカタツムリISBN:4337330364
ゆうたの小さなカタツムリ
タイトルからして低学年向き,特に感想を求めてくる作品とも思えなかった。

通夜に向かう電車の中で,その本を取り出して読み始めた。
ゆうた?あいつの息子の名前だったっけ?登場人物は二人の兄弟。ああ,自分の息子たちが主人公なのか。

読み進めていくうちに,私は納得した。これは自分の子どもたちに向けた遺書だった。発行は昨年の12月。死因は薬の急性の副作用だから,自分の死期を悟ってと言うものかどうかは不明だが,間違いない。

「なくな。生きているものは みんな しぬ」