タオは笑っている--なぜ詰将棋を作るのか--

あるMLでスマリヤンの話題が出ました。このページを読む方にとってはスマリヤンといえば,「シャーロック・ホームズISBN:0192861239」と「アラビアン・ナイトISBN:0192861247」でしょうが,氏にはゲーデルの解説書やパズルの本などの著書もあるのです。「なんていう書名だったけ?」という話題だったのですが,私も読んだ記憶があったので検索していたら「タオは笑っているISBN:4875021852」という本を見つけました。
タオは笑っている (プラネタリー・クラシクス)
さっそく取り寄せて読んでいるのですが,これが面白い。その中で,表題の「なぜ詰将棋を作るのか」と関る一節があったので,紹介したいと思います。

「なぜ演奏会を開きたいのか」ときかれた演奏家は返事に窮すると思うが,こんなふうに答えてみるのも一興だろう。 (「バイオリン弾き」と題する私の詩である。)

バイオリン弾きはバイオリンを弾く
たとえ聞く者がひとりもいなくても
バイオリン弾きはバイオリンを弾く

また,仏光国師の句もふさわしい答えを提示してくれる。

まもるともおもわずながら小山田の
いたつらならぬ案山子(そほづ)なりけり

つぎにあげる一休の言葉も,それに関する R・H・ブリスの解説も,「なぜ演奏家は演奏会を開くのか」という問いに対するすばらしい答えを示していると思う。

かきおくも夢のうちなるしるしかな
さめてはさらにとふ人もなし

この句について,ブリスはこう解説した。

ここに示された超越的な精神はシェイクスピアにも見られる。
たいへんな労苦と感動を経て生まれた戯曲が,はたして文学として残るかとも,そもそも残るかどうかも気にせずに,シェイクスピアは戯曲を書きつづけたのである。

シェイクスピアはともかく,こんな感じで詰将棋を楽しんでいけたらいいなぁと思います。